あとがき

 献辞を贈った4人の先人たちが遺してくれた各々の世界観  その様相のディテールをそれぞれまるで異にする、いずれも無類なる四つの世界観  に時期をずらして個々に触れ、無自覚・無批判に信奉するわけではないものの、それらについて観想を巡らし・自らの解釈でもって消化するに価する思想として、筆者はこの十数年間、彼らの著書を不定期的ながら繰り返し読み続けてきた。数多ある神秘思想や形而上学関連の書物群とは違って、4者が著したこれらの作品が明かす世界観には、筆者もおそらく幼少の頃から直感していたであろう、或る共通の大前提が存在する。それは  -
 この世界は全く生易しいものではない  という事実である。
 他者の坩堝たる世界……その直中で個々人あるいは集団どうしが互いに行なう絶え間なき紛争、そしてその残虐性。種族総体として体現している度を越した横暴さ……。森林保護運動の現場に身を置いていた時期もある筆者は、いつしか厳然たる一つの結論を認めざるを得なくなっていった。つまり、現実世界がこれほど苛烈なのは、単に人間という一動物種の欠陥に因るのではなく、存在世界そのものがどこかその根本から間違っているのだ、という確信にも似た認識である。
 去る二〇〇五年のこと、著作をめるなどということには思いも寄らなかった当時の筆者は、自らの世界観を散文詩として刻んだ陶板文書を制作し、とある小さなグループ展にて発表した。本書の言はば出発点であり、その骨子ともなっている当作品の全文をここに記し、この形而上学的神話を閉じることにしよう。なお件の陶板文書『末端者の書』は、艶消しの黒〔黒泥土〕を地として、各行に一字ずつの左{下}記ゴシック体文字のみを白色〔白化粧土〕で、残りの文字すべてを茶褐色〔並赤土〕で象嵌した、縦21センチ×横61センチの焼締め〔釉薬を施さない〕作品である。


  孤に倦んだ全一存在
  思索を始めて自展開
  一瞬にも満たぬそのシミュレイションが
  分たちには永劫と映る
  この間断なき“天地造”
  走査と界は同時に終わる
  全ては確定にして未確定
  時間に呑まれているが故の無

  末端者たちは本質的に御目出たい
  たとえ苦悶のみにあろうとも
  全に同一化できれば安らぎを得られよう
  だが個の苦痛が消えるわけではない
  悟りも癒しも欺瞞にならぬ
  淡々と展開するが故の感覚にして能天気

  多様化するにつれ個体数は増えていく
  複化が進めば緊密度もいや増す
  犇めきっては生じるこの軋轢
  万有引こそ諸悪の根源
  揺れた振り子はいずれ元に戻る
  終末課程でベクトルは反する
  法も指向も感情でさえも
  否応なしに総換されてしまう

  ルールをめるのは我々ではない
  生は獄内争なのだから
  この身兵役に満足ならば
  見出した快楽を享受するがいい
  だが不服と怒りを禁じぬならば
  収監にこそ反撃を加えよ


{……中略……}
 本書の第1稿に手を付けてから間もなく2年が経とうとしている。故-埴谷雄高氏が繰り返し表明されていたごとく、ここに成就した仕事もまた「精神のリレー」の一環に他ならない。むろん『死霊』を凌駕したなどと自認できるような代物では全くないが、更に先へ進まんとする人々にとっての材料もしくは刺激となったならば、本書した一末端者としてはこの上なき幸いである。

 諦め切れぬ全ての存在たちに、どうか、より大いなる力あれ。

  二〇〇八年三月 筆者

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