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 宇宙 (=世界) は無から生じた……。
 数多の神話も最先端科学もそのように説いているが、では、なぜ無から有が生じ得たのか? ビッグバンによってこの宇宙が急速に膨張していったことが確かだとして、では、その外側は如何なる状態にあったのか……?
 大地はゾウに支えられ、ゾウはカメに支えられ……という世界観と、絶え間なく膨張する宇宙という認識は、本質的なところで同じ撞着をはらんでいるように思われる。何物かに支えられるにせよ膨張するにせよ、それは、その領域が無限ではないことを前提としており、その外側に関しては説明できないからである。正確に言うならば、前者は、外側を説明しようとして無限に連なる土台という陥穽に嵌り、後者は、外側について問うことを放棄するが故に無限の外部に呑み込まれてしまうのだ。それゆえ本書は、無限および 《全ての全て》 を出発点にしたのである。
 無限なる領域は、膨張することも収縮することもできはしない。したがって、そこで生じる如何なる変化も、密度偏倚による分離と諸要素どうしの反応という、内面展開形式をとらざるを得ない。無偏一様な状態   当然のことながら、それは “無” ではあり得ない   にあった 《全ての全て》 が、自身の内部のあらゆる部位 (=領域) に、無限とも紛うバージョンの起動力、すなわち万様能動をいっせいに加えた……これが全多様世界の始まりであり、我々の 「宇宙」 も無数に存在しているであろう世界群のうちの一つであるはずなのだ 〔断片 003〜004、および 140 も参照〕。
 空間三次元に時間と全可能態を加えた合計 五次元の無限時空……それが各世界の実態である 〔それらが連なる方向が第六次元〕。互いに接触しない各世界は、それ自体の次元においては 《全て》 であるから、実質上、その外側は存在しない。外部に比較となる尺度がないからには、世界内存在 あるいは空間のサイズは、完全に相対的なものとなる。つまり、世界が膨張していくという変位と、全存在が収縮 〔正確には縮小〕 していくという変位は、世界の内側にいる我々には全く同じように見えるということなのだ。
 無限から出発した当神話は後者の見解を採ることになった。万物縮小などというと妄想じみて聞えるであろうが、上に記したとおり、これは元もと検証不可能な事柄なのである。



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