あらゆるものが動いていた。
静止しているものは何ひとつなかった。
一つという括りが不可能である程に、全てが動き、入れ替わっていた。
そもそも静止していられるものなど何もなかった。
{……}一瞬とて同じ場所に居座っていられるものはなく、数秒間とて同じ形を留めていられるものもなかった。世界のその領域全体が動いていた。それは正しく混沌であった。
第2章冒頭
呪縛と回避
地球の思惑 細胞の衝動
注釈リスト
もう万物の万物に対する闘いではなかった。それは、動き続けようとする勢力と落ち着こうとする勢力の、熱くあろうとする勢力と冷まそうとする勢力の集団闘争であった。
数億年の昔と同様、全てが未だ動いてはいた。しかし渾然一体といった様相は既に過ぎ去り、景観の変動に明らかなる秩序が生まれ始めていた。
P36 第14行〜
{……}己の熱が下火になりつつあることに気づいたとき確かな認識となったことだが、輝ける御柱と自分らとは、存在の格がまるで違いすぎるのだ。身体の大きさや形ばかりでなく、内面の感じにおいても輝ける御柱は、異質というより別格で、自分や同胞たちのような複雑さを持たず、唯ただ今のように在り続ける意志を、猛烈な熱と輝きという形で放っているだけだった。
あのようになることは決してできない これは厳然たる認識である。あのようになりたい これは確固たる渇望である。ここに初めて線条存在すなわち地球は、分裂した自己を同時に感得した。そしてその違和感が不快という新感覚を目覚めさせたのである。
P38 第7行〜
{……}あらゆる物質存在はそれなりの意識を持つ。その意識の持続をもって生とするならば、それは正しく突然死に他ならなかった。“個体”高分子化合物としての集合意識は消滅し、それまで“個体”を構成していた“細胞”たる素粒子もしくは複合粒子、“器官”たる単純分子の、ばらばらの微小意識だけが残った。したがって大半の高分子化合物存在にとって、大異変は即大災厄を意味した。だが世界は非情であると同時に公平である。原理的に言って全く公平〔平等にあらず〕なのである。
P45 第4行〜
{……}意識を研き・向上させても、存在本体たる樹状繊維体の形を変えることは決してできない。その形状も配置も、生まれながらにして、あるいは時に生まれる前から完全に決まっており、そのさき永遠に不動である。なぜならば、多次元時空間に展開しているその樹状繊維体は、他の無数の樹状繊維体と複雑・密接に絡み合いつつ、世界内存在すべてと合着した雄大無双の超複合体を形成しているため、微動だにすることができないからである。そのような訳で、存在本体のある客観多次元の実態世界においては、運・不運というものが確かに存在するのだ。その世界は、平等でないどころか公平ですらない。
P47 第6行〜
{……}速やかなる変化という宿業を負わされている世界にあっては、変容するという方向に流されてしまうことのほうが、逆に安易な選択であると言えるからだ。そうすることを拒んだ者たちは、己自身であり続けることを最善と見なし、そのように 《意図》 したのである。譬えて言うならば、変容者たちは、大人たちが望むとおりの才能を存分に発達させる優等生であり、拒否者たちは、自分の与り知らぬ所で勝手に決められ押し付けられた規則そのものを容認しない叛逆児だったのだ。
P51 第7行〜
新境地を開いた細胞生命体たちは、光合成細胞やその死骸を貪欲に求めて、全海洋中層のあらゆる領域に拡がり、飽くことなく放浪し漁った。かれらは喰うために動き、動くために喰らった。そうするうちに何時しかこの循環から抜け出せなくなった。生態そのものが性となり、やがて存在もろとも貪食の権化となっていった。ここまで来たらもう後戻りはできない。その性向が赴く限界まで、自分たち自身をエスカレートさせていくだけなのだ。
P54 第17行〜
{……}そもそも全ての微小存在は地球にとって他者ではなく、その身体の一部である。我われ多細胞生物にとっての、体表に付着したバクテリアとは訳が違うのだ。地球上の微小存在が変化していくことは、すなわち地球自身が変わっていくということである。したがってこの傾向の宿業化は、地球という末端存在の自己呪縛に他ならない。母体惑星が自らそうせざるを得ないのは、太陽系という存在領域そのものが呪縛されているからだ。同様に銀河系が、そして世界という場が、元もと呪縛されているのである。
P63 第15行〜