神話〜MYTH

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地球 細胞
究極 植物
動物 存在
恒星 銀河
時間 寿命
重力 世界
大漆黒者 全知者
太古 同調
全一者 末端者

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第5章扉

本性と意志


   恒星の生涯 銀河の宿業

注釈リスト


078

 さほど太くはなく、さほど熱くもない、ごく有りふれた《黄色い輝き族》の或る単独派が、《輝生》晩期の肥大化という馴染みの兆候を観せることもなしに、突然その全身を拡大させ始めた。
 この奇怪な現象を感じとった近在の同類たちは、透かさずそれぞれの知覚野を絞ってそちらの方へ向け、当の仲間の様子を探った。観る観るうちにその体熱は赤みを帯びだし、その身体もまた膨張するにつれて柔らかくなっていく。そしてなんと、その中心には《成熟体》が無かった! 間違いない。その仲間は既に滅していた。
   第5章冒頭

079

 《黄色い輝き族》たちは、その準備期間を周到に過ごしたとしても、他の重級2族のものより締まりの緩い《成熟体》しか形成できないのが常だった。生まれ付いての重量が将来の緊縮力を決定してしまうのだから、それはどうにも仕方のないことだ。しかし、その低密度の最終身体にも一つ有利な点がある。《青白い輝き族》および《紫色の輝き族》の、《輝生》時代とはそれぞれの太さが逆転した更にきつく引き締められた《成熟体》とは違い、当の中級族の場合は周囲に対する知覚野が未だに広く、しかも鋭く伸ばすことすら可能なのだ。
   P133 第12行〜

080

 各生涯の大勢を決定づける《集生》については、識者たちの間でも理解の仕方が異なっていた。己の力ではどうすることもできぬ各々が生まれた軌道上の位置と、その時たまたま近くに在った構成材料の総計によって決まってしまう、とする者たちもいたし、《集生》期における力加減しだいでそれぞれが望む量の材料を調達することが或る程度はできる、とする一派もあった。
   P135 第10行〜

081

 観想を巡らす識者をよそに、近傍に散った同類の中でも《沈生》期にある重級2族の者たちは、己の内界に埋没していて未だこの事態に気づいてすらいなかった。だがたとえ気づいたとしても、彼らはさしたる興味も示さないだろう。何故ならばその指向はみな一様に、自らの最終身体を更に硬く凝縮させ、その内界を自己の極限まで濃密にしていくこと……唯それのみだからである。
   P138 第7行〜

083

 存在は存在である以上、みな知覚能力を持ち、それぞれ固有の意識があり、各々それなりの意図を抱いて行動している。たとえ実状は機械的であろうとも、当の主体は意識性という保証を自らに与え〔これもまた機械的作用であるが〕、その真偽を突き詰めて問うようなことはない。全ての生はそうやって滞りなく運んでいく。そうでなければ世界の進展そのものが危ぶまれるからだ。個体による自己欺瞞は、世界が自らの運行を保証するために設けた内在作用である。全存在は自らを騙すことによって世界に迎合する。
   P140 第4行〜

085

 各器官の状態、つまりその意識状態は、部位感覚として知覚されることが多いものの、気分という形で表わされて自我意識に反映されることもある。しかし、情報処理器官として発達した巨大な神経節である脳の、そのまた表層部域の反応体系に過ぎぬ自我意識をもって個体意識と見なすことに慣れている我われ人間は、その自我意識もまた中間集合意識の一つであるということをほとんど認識していない。
   P140 第16行〜

086

{……}生物がその体内でエネルギーを調えるのは、むろん生存するため、つまり自分で消費するためである。いっぽう太陽のほうは、せっかく拵えたエネルギーを自分で使うわけでもなく、ただ“無駄に”放出してしまうのだ。この活動原理 ・存在目的の違いは決定的であろう。そのベクトルが全く逆向きなのである。それゆえ、太陽の身体を生物体の論理で繙く際には相当の慎重さが必要なのだ。
   P143 第11行〜

087

 中心核は絶え間なく燃えている。この器官そのものが燃える物質の塊なのだ。その中では、いわゆる燃焼ではなくて熱核融合という効率性の高い化学反応によって、大量の水素がヘリウムへと変わっている。{……}こうした極限状態の恒常性が均衡を保っているから、超高温・超高圧であるにも拘わらず場そのものは非常に安定しているのである。ハイ - テンションの静謐がく強固に行き渡っているが故に、中心核自身には時間感覚というものがないかもしれない。あるいは逆に、極度に加速された主観時間を生きており、自らの組織体内で進んでいる微小粒子たちの集団流動ですら、ごく極ゆっくりしたものとして感じているかもしれない。
   P147 第5行〜

089

 各器官の中間集合意識が右のごときものであり、それらの内温ベクトルが斯様に整然としているとなれば、当ぜん太陽自身の意識も相当バランスがよく平静なものであるということになる。人間意識のようにいわゆる頭と心と身体に分裂したものでもなければ、地球意識のように(おそらく)煮えたぎった内奥を薄い表殻で覆って取り繕った〔これは人心の相似形でもある〕ようなものでもない。長い安定期にある恒星〔主系列星と呼ばれる〕存在としての在り方が、太陽の場合、100億年の間ほぼ不変の姿態として体現されているのである。
   P149 第7行〜

090

 白色矮星などの「星の芯」は死骸などではあり得ない。恒星という存在は、生物(特に動物)とはわけが違うのだ。その身体が完全に分解し ・無数の微小存在として散っていかない限り、個体としての集合意識は存続する。主系列星期の終焉は、生の新たなる段階への変容を意味するのだ。
   P151 第5行〜

091

 ほとんど接するほど近くに来た、2体のな繊維塊を併合するまで後ほんの少しであった。これらの小物は、かなりの暇と苦労をかけてようやくそこまで牽き寄せたものだった。どちらもその中央に核を持たぬ、軽くて頼りない弱小者〔その片割れは重さを感知しづらいほど小さかった〕であったが、取り込めるものは何でも取り込むに然りだ。そうして自身を膨らませておかなければ、いずれ来るべき対決において、逆に自分のほうが取り込まれてしまう。
   P152 第3行〜

092

{……}双方の力が拮抗している場合、併合ではなく融合という形をとるその決着がなかなか付かないだけではなくて、いったん曖昧になった双方の意識から、新たな統合点が立ち上がってくるまでにもかなりの時間が掛かる。そしてその新繊維塊が自らの身体と能力を自在に使いせるようになるには、更に長い時間を要するのである。
   P153 第6行〜

093

{……}もとより繊維塊たちは同類意識などまるで持ち合わせていなかった。現在の小規模集団とて、各々が生まれた時たまたま傍に在ったという、唯それだけの関係しかない寄り集まりに過ぎない。観得できる限り遠くまで観晴るかしてみても、この広大な宙域には自分と同じような繊維塊しか存在しないのだから、それらは全て確然たる他者であり、自分自身以外の異物としてみな同等だったのである。
   P155 第4行〜

094

{……}できるならば現在もてる記憶の果てから更に溯った頃の知識を有する、経た繊維塊の意識を繙いてみたいという興味がないわけではなかったが、過去を解き明かすという好奇的な動機からであってさえ、何者かとの意思疎通を試みようとしたことは嘗てなかった。宙域世界開闢の昔から、他者とはあくまでその身体を繊維や材料として利用すべきもの、と端から決め込んでいる繊維塊たちには、元々そのような発想は生まれようがないのだった。
   P161 第9行〜

095

{……}繊維塊存在総体が組成材料の消尽という大問題を抱えているのだとしたら、いずれ無くなるはずの残存分を個々で争い ・奪い合ったところで、終局を遅らせることにすらならない。また、対決や併合に余計な活力を費やすのを止めて唯じっとしていようとも、全者の体内組織は確実に変容していき、使い回しの利かない本体ばかりがこの宙域世界に溜まっていく……。時が経つほど事態が深刻化するだけであり、自然解決など絶対に有り得ないのである。
   P163 第8行〜

097

 個体存在としての惑星 ・恒星は、その様相が如何に変じようとも、バラバラにならない限りは生きているものと解釈できる。その個体性が見た目どおりに堅固だからだ。ところが恒星という“細胞”の集合体である銀河は、容易に他の同類と合体し得ることからも解るとおり、その個体性が外見ほどには明確ではないのである。
   P169 第6行〜

098

 形態上ある纏まりを持ったあらゆる存在は、個体としての集合意識を必ず持っている。生物体のような細胞“社会”ではなく、恒星体のような機能“組織”でもない、重力総計によって緩やかに塊っているに過ぎぬ銀河体が如何なる集合意識を持っているかを想像してみると、おそらくそれは、小惑星の意識と濃厚な星間物質の集合意識との中間くらいの結合度で維持されているものだろう。
   P171 第4行〜

099

{……}そんな夢見状態と堅固に安定した覚醒状態の中間にある意識といえば、完全に目覚めてはいるけれども移ろいやすい、内外からの刺激に容易く反応してしまうような状態……。奇しくもそれは、我われ人間の通常意識に近いものなのである。
   P171 第17行〜

102

{……}理論的には全ての人間が潜在的にその統合可能性を秘めて生まれてくるはずだが、実際にその可能態を自身の五次元体に持っている個人は極ごく僅かであるに違いない。なぜならば大半の人間は、生まれ落ちたその瞬間から始まる基本的性向の形成期間〔およそ7歳まで〕、周囲の多重人格者たちからの意識的・無意識的な影響に晒され続けるのだから……。
   P174 第8行〜

103

{……}“比較解剖学的に”判ずると{……}
 銀河系はひとつの途方もなく巨大な脳である。
 より正確に表現するならば、人間の脳で言えばそのごく一部分にあたる、自我意識領域およびその周辺の(擬似)感情コンプレックス群、ということになる。
   P175 第11行〜

104

{……}露骨に言うならば、それは正に共食いである。ほぼ同一サイズの銀河どうしならば「合体」もしくは融合と見られなくもないが、約20億年後には起こるだろうとされる銀河系による大小マゼラン雲の併合などは、大きなアメーバによるより微小な生物の補食と何ら変わるところはないのだ。
   P179 第4行〜

105

 自身の内部に他者を取り込み ・バラバラに“消化”してしまうという行為の主要な動機は、より多くの複合連節およびその材料の獲得であろう。つまり、自我意識の拡大を求めるが故に他者の身体を欲するのである。拡大を遂げた新意識の中に捕食された獲物の意識は残るか?  おそらく残るまい。その体内に中心核など持たぬ矮小銀河たちは、難なく解体されてその包括意識は消えてしまう。
   P179 第15行〜

106

{……}旧銀河系時代に形成された恒久繊維群、つまり白色矮星 ・中性子星 ・ブラックホールが残存している限り、幾百億年か先の巨大楕円銀河の意識内にも亡霊のごとき銀河系が“生き永らえて”いることになる。今から数千億年後に全星間物質が消え果てる時ですら、もうそれ以じょう“忘却”の起こらない新々々…自我意識のどこかに未だ存続していることだろう。跡形もなく消滅するのは、超巨大楕円銀河の身体表層部に残っていた恒久繊維の全てが、その中心部の超巨大ブラックホールに呑み込まれる時であるに違いない。
   P182 第17行〜

108

{……}《永遠の現在》を生きる全一存在にさえ寿命があり、世界の終末よりも更に将来のことながら、いつぞ必ず終焉を迎えるのである。
   P183 第17行〜

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082

機械的進展は機械的行動の集積に他ならない。この場合の機械的とは、内外からの刺激に反応して、ということだ。
   P139 第9行〜

ギャップ
084

あらゆる個体意識は、その身体を構成する下位レヴェルの存在総体から成る集合意識である。
   P140 第11行〜

ギャップ
088

あらゆる運動の動機は詰まるところ不快感の解消であろう。
   P148 第9行〜

ギャップ
096

掟は変わるべくして変わるのだ。個々の矮小な存在たちの思惑などとは係わりなしに……。
   P164 第14行〜

ギャップ
100

比喩ではなく文字通りの意味において、大半の人間は多重人格者である。病理症例としての人格乖離障害者との違いは、唯いつ記憶の連続性の有無だけなのだ。
   P173 第7行〜

101

一貫性を保つということが如何に至難の業であるかを認識することすら普通われわれにはできない。何故ならば、引っ切りなしに別の対象に自己同一化し続けているという一点においては、確かに一貫しているからである。
   P173 第10行〜

ギャップ
107

星々の煌めきすら完全に絶えた遙かなる世界において、我われ人間のごとき超微小な存在の“客観的”尺度などがいったい何の役に立つであろうか……。
   P183 第15行〜

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