言葉は光である。
言語は秩序である。
光の焦点照射が捉えた事物は、世界の構造を形作る。
世界に元もと秩序があるのではない。言語の構造そのものが自ずと秩序を形成するのだ。
第6章冒頭
秩序と抵抗
微粒の時間 全一の寿命
注釈リスト
{……}有機生命体は言うまでもなく、太陽や銀河系の身体を見ても解るとおり、入れ子構造を成している存在レヴェルの階梯的移行は、細胞 ・器官 ・個体という流れを繰り返しているように見受けられる{……}。
P188 第13行〜
{……}仮に木星型の(公転半径が大きい)大惑星に生命体が生まれるような恒星系があったとしたら、その中心で輝いているのは太陽よりも相応に大きな主系列星であろう。いま取り組んでいる時間表に法則上の正当性があるものならば、存在レヴェルの階梯をどういうルートで上っていこうと比例関係は成り立っているはずだ。
P189 第13行〜
{……}微小存在から極大存在まで総計17レヴェル〔複合粒子 ・原子核 ・単純分子 ・高分子有機化合物 ・細胞 ・器官 ・人間 ・地域圏社会 ・有機生命体 ・地球生態系 ・地球および太陽器官 ・太陽 ・銀河系器官 ・銀河系 ・大銀河団 ・世界 ・全一存在〕が連なることになる。
P191 第10行〜
一般に太陽の寿命とされている100億年は、あくまでその全生涯における一時期の長さである。この数字は主系列星期にある太陽身体内器官の寿命に他ならない。完全変態を行なう昆虫が成虫となる際に幼虫時代の器官が失われるようなものだ。そしてこの期限は運命的に、存在レヴェルの同位にある地球の上にも課せられている。
P195 第10行〜
{……}太陽本体にある諸器官は主系列星として文字どおり燃焼し尽くした末に果てるわけだから、9億という数は主観現在と寿命の関係として自然な値であると見なせよう。それに反して前者の1.4億は、中心部の終焉〔変容〕の道連れとなって“死ななければならぬ”惑星自身にとっては不自然な、もっと言えば不本意な数値なのである。地球本来の寿命は強いられた短命の6倍以上、おそらく640億年に及ぶはずなのだ。
P198 第9行〜
人間の平均寿命を割り出すには、むろん定数として20億を使う。食物連鎖の最上位にある動物が負わなければならぬ種内闘争の激しさは、主に上位レヴェルの地域圏社会を通して発現するからだ。民族あるいは国家間戦争中に必ず行なわれる集団虐殺でさえも総個体数の多さによって相対化され、人類総体の平均寿命を激減させはしない。1回2/3秒の鼓動を20億回打つ存在の寿命は……42年である。
P202 第18行〜
{……}体内の血液成分、大別して赤血球と白血球は、{……}全身を活動の場とするため、これら機能系の中間集合意識はいずれも全身に広がったものとなっている。前者の機能は運搬 ・伝達であり、後者のそれは排他 ・防衛である。そして、機能すなわち意志である。ふつう人間が他者に対する記憶や感情の伝達欲、および排他性という相反する性向を併せ持っており、時や状況に応じてどちらの気分にも変わり得るのは、これら二つの全身的中間集合意識のどちらか一方に自己同一化するためなのだ。
P204 第6行〜
{……}蛋白質などの高分子化合物たちは、存在領域に外敵がまず居ないかわりに、個体発生にせよ恒常性維持にせよ、生体プログラミング ‐ スケジュールの厳重なる管理下に置かれている。その精度と厳密性は、おそらく一つ上位の細胞レヴェルに課されているそれをも凌ぐであろう。三つ上位の個体有機生命体がつつがなく生きていく必要上、かれらの多くは“プログラミング死”を迎えねばならぬ宿命の許にある。
P204 第16行〜
複数個の陽子 ・中性子から成るヘリウム以上の元素の原子核とその構成複合粒子との関係は、太陽とその(主系列星期)構成器官との関係に等しい。ただし、ここで惑星に相当する(最外周の)格外電子は、当初の軌道から離れて他の“恒星”〔原子核〕とも結び付き、そこに複雑な“連星系”〔分子〕をつくりやすい、という違いがある。上位レヴェルへの依存度の低さというこの傾向は、素粒子という存在レヴェルの大きな特徴であろう。
P208 第1行〜
機能上の纏まりとして仮想した大銀河団レヴェルとて、形態上は銀河レヴェルと変わるところのない巨大群体であろう。しかし、並のサンゴがただ海棲生物たちに棲息場所を提供するだけであるのに対して、それらが(死骸をも含め)無数に積み重なって出来たサンゴ礁は、全長2千キロにも及ぶ巨大な島嶼構築物にまで発展し、陸上生物たちが暮らせる環境の礎とすら成り得る。数が夥しく集まるだけでもその規模が極まるならば、機能上の相転移が起こって存在レヴェルが上がるのである。
P209 第16行〜
ブラックホールは単なる高密度の天体ではなく、際限なき重力崩壊によって相転移を起こし、一般物理法則から脱してしまった非物質的存在で、その中心は密度無限大の特異なる《点》である。相次ぐ融合により増大してきた吸引力が臨界点に達すると、それは物質ばかりか空間そのものを吸い込みだす。そして、世界中に散らばった《特異点》がこの段階に至ると、全一存在の擬似筋肉である世界そのものの自己保存力が働き出し、自動シミュレーション上の物質存在集団としての機能を緊急停止させて、各ブラックホールを逆に膨張させ始めるのである。
P211 第18行〜
{……}巨大さの形容すら無意味となったブラックホール群は、“縮んでいく”世界の中で融合に融合を積み重ね、最終的には世界そのものが一つの絶大ブラックホールとなる これが世界の終末である。非物質的領域と、元もと物質であらざる精妙なるものとが、見た目には完全に重複し ・併存している状態……。では、ニュートリノはどこに在るのか? もちろん世界ブラックホールの内部に……。
P212 第12行〜
世界の内のあらゆる存在は主観三次元存在である。大きさのレヴェルが如何に上がろうとも、この鉄則からは逃れられない。世界内存在としては最上位にある大銀河団とて無論そうだ。ところが、さらにその上位の世界自体になると、レヴェル較差は1であっても一気に五次元存在へと飛躍する。全多様世界も同様だ。そして全一存在は、唯一の六次元存在である。
P213 第4行〜
世界の鼓動周期は、1.3×10の7乗すなわち1300万年であり、その寿命は2.0×10の24乗年である。
全一存在の鼓動周期は、3.4×10の8乗すなわち3億4千万年であり、その寿命は1.4×10の29乗年である。
P213 第17行〜
存在のサイズに応じて主観時間も違ってくるはずだ、という先人の洞察……。異なる時代と環境の下に、人間の主観現在だけを共通の出発点として、それぞれ別の発想と手法によって作成された二つの時間表が、《最後の最後》を意味する時間に関してほぼ同一の数値を弾き出したという事実は、やはり相応に重視して然るべきではないだろうか。
P219 第2行〜
{……}未来を予測する際、ふつう空間曲率については問題にされる。世界の形が変わってくれば、当ぜん時系列的変化のシナリオも違ってくるからだ。しかし、時間や可能態の曲がりのほうは通じょう考慮の埒外に置かれている。空間曲率だけを分離・特定することは本書に為せる仕事ではない。だが、世界はあくまで五次元時空間であり、我われ三次元存在には観測不能ながら、時間や可能態が曲がっていることはまず間違いないのである。
P219 第18行〜
時間とは四次元時空上の運動である。可能態とは五次元時空間における揺らぎである。世界にいま流れている時間は、全一存在による《初めの動き》が生じさせた慣性運動である。世界に展開する全可能態は、無数の末端存在が互いに他者として絡み合う実現不確定性のシミュレーションである。つまり、そのどちらにも一貫した行動意志は働いていないのだ。
P221 第1行〜
このような成行きが、完全に機械的な進展が否応なしに曲がっていく、つまり最初のコースからどんどん逸れていく理由である。進路変更が起こる二つの半音箇所を前述の体系は《インターヴァル》と呼んでいるが、本書では《イレギュラー》と称することにする。そこで、もしも世界内で起こる物事を直線状に進展させようとするならば、《イレギュラー》に至るたびに外部から相応の力、《付加的ショック》を加え続けなければならない。
P221 第14行〜
{……}個々の恒星ブラックホールでさえ、微小部分的な世界消滅である。自らの中心にある巨大ブラックホールへの陥没は、各銀河の別世界への変容である。それらが膨張し始め、更には融合を重ねて超巨大化していくことは、それら別世界の漸次拡大、言い換えれば、この世界の侵食に他ならない。そして絶大単一ブラックホールの前 - 世界空間との同一化は、多くの神話〔SF小説やファンタジーを含む〕が描くところの《闇》の拡張および世界併呑というモチーフそのものだ。
P223 第10行〜
{……}世界の進展は単一主音階だけで成り立っているわけではない。あたかも幹から枝が生えるように、所々の中間音を起点とする二次的オクターヴ、更にその途中から始まる三次的オクターヴ……と複雑な構造を持つのが実状であり、稀にそうした副次オクターヴ上に真の《付加的ショック》が加えられることも有り得るのだ。
P224 第10行〜
ところがここで奇蹟が起こる。その感受性の高さ故に地球生態系は全一存在の鼓動にリンクするのだ。そしてこれが《付加的ショック》となって、自らを全音さげてしまうのである。件の西アジア体系においては、或る存在に対する上位存在の直接的介入、もしくは上位レヴェルに固有の法則の下位レヴェルでの顕現が奇蹟の定義となっている。その意味における奇蹟的影響を受けた地球生態系は、稀有にもここで転調を果たすのだ。
P226 第4行〜
いったい人類が何を仕出かすか、数十億年後のことを{……}想像してみよう。太陽がいずれ赤色巨星となり、自分たちを絶滅に追いやることが確実に解っているのである。他の若い恒星系に移住するという選択肢もないわけではないが、大多数の一般人は星間船に乗れずに取り残されることだろう。そこで、長い意味では時間稼ぎに過ぎなくとも、太陽の主系列星期を何とかして延ばそうとするはずだ。主観時間の著しい違いを不問に付すならば、当然のことながらこの目的は地球自身の利益と完全に一致するのである。
P230 第9行〜
{……}人は、与えられた寿命だけでは飽き足らず、可能な限り長く生きたいのだ。人間だけではない。全ての動物も同様である。自覚してはいないかもしれないが、その生態からして明らかに、植物だって同じだ。そして地球も、細胞も、やはりそうなのであって、階梯構造の途中に嵌め込まれた己の属する存在領域の中で、全く同意した憶えのない宿命を押し付けられた結果、不本意な“薄命”に終わることなど本当は御免なのである。潜在的にはありとあらゆる末端存在が、それぞれの領域における秩序を乱す“癌細胞”と化してでも、自らの思惑に沿った生涯を送りたがっているはずなのだ。
P232 第3行〜